大阪高等裁判所 昭和59年(う)774号 判決 1985年7月18日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人浅野省三作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁の要点は、検察官山路隆作成の答弁補充書記載のとおりであるから、これらを引用する。
控訴趣意中、訴訟手続の法令違反並びに事実誤認の論旨(控訴趣意第一及び第二)について
所論は、原審で取調べた本件覚せい剤(ポリ袋入り一二袋)(原審昭和五九年押第八一号の一乃至一二)(原審検察官請求番号13乃至24号)、被告人作成の右覚せい剤の任意提出書(同11号)、近畿地区麻薬取締官事務所神戸分室司法警察員麻薬取締官(以下麻薬取締官と略称する)作成の右覚せい剤の領置調書(同12号)、検察官作成の右覚せい剤の鑑定嘱託書(同25号)、兵庫県警察技術吏員作成の右覚せい剤についての鑑定書(同26号)、麻薬取締官作成の捜査報告書(同27号)、被告人の麻薬取締官に対する昭和五九年一月二五日付(同30号)同年一月三一日付(同31号)各供述調書、被告人の検察官に対する昭和五九年二月一八日付(二通)(同32号及び同34号)、同年三月二二日付(同33号)各供述調書の各証拠は、いずれもその収集過程に違法があり、したがつて証拠能力を否定してこれを排除すべきであるのに、右各証拠を認定資料として原判示第一及び第二の各事実を肯認している原判決には、訴訟手続の法令に違反し、ひいては有罪の証拠のない事実を有罪と誤認した違法がある、というのである。
よつて、記録を調査し、当審における事実取調の結果も勘案して考察する。
一本件捜査の経緯
原審記録及び当審における事実取調の結果によると、本件は、当初神戸海上保安部司法警察員海上保安官(以下海上保安官と略称する)が、かねて覚せい剤事犯の容疑で着目していた原判示柴重行を、昭和五八年一二月二日兵庫県洲本市海岸通共同汽船桟橋に繋留中の客船の客室内で覚せい剤を所持していた容疑で現行犯逮補するとともに、右覚せい剤を差押え、その鑑定嘱託をすると同時に柴重行を取調べたところ、右覚せい剤は被告人から買受けた旨の供述がなされたので、右海上保安官は、被告人の右柴重行に対する覚せい剤譲渡の被疑事実(本件原判示第一の事実)により神戸地方裁判所裁判官の発する逮補状を得たうえ、その所在を捜査し、昭和五九年一月六日神戸市兵庫区湊町路上で逮補したこと、その際被告人と同行していた内妻の川崎タマから海上保安官が事情を聴取し、同女の案内で同市兵庫区浜崎通旅館「兵庫ホテル荘」金星一一号室に赴いて、同室に隠匿されていた覚せい剤ポリ袋入り一二袋(前記押収物件)を同女から任意提出を受けてこれを領置し、右覚せい剤の鑑定嘱託をし、右所持の被疑事実(本件原判示第二の事実)についても川崎タマ及び被告人の取調べを行つたが、その後海上保安官が右所持の被疑事実について取調べをするのは、その捜査権限に疑問があるとして麻薬取締官に捜査が引き継がれ、麻薬取締官において被告人の取調べがなされることとなつたこと、他方、右譲渡の被疑事実については、被告人は右の如く通常逮補されたうえ、同年一月八日前同裁判所裁判官の発する勾留状の執行を受け、同月二七日まで勾留期間を延長されて、その間海上保安官及び検察官の取調べを受けたが、被告人の右譲渡の被疑事実(本件原判示第一の事実)についても同海上保安官に捜査権限があるか疑わしいとして、被告人に対する本件覚せい剤譲渡、同所持の被疑事実の捜査を担当していた神戸地方検察庁検察官は、同月二七日被告人を処分留保のまま釈放したこと、そして、右所持の被疑事実の取調べをしていた麻薬取締官において、引き続き被告人の身柄を確保するため、同日前同裁判所裁判官に逮補状の発付を請求して被告人を通常逮補したが、右逮補についても、捜査権限のない前示海上保安官の捜査によつて得られた証拠にもとづく請求であるので、これによつて得られた逮補状による逮補は違法とされる余地があると判断されたため、右検察官は麻薬取締官に指示して即日被告人を釈放させるとともに、海上保安官が前示の如く川崎タマから任意提出を受けた本件覚せい剤ポリ袋入り一二袋をも被告人に還付させたうえ、同日再び被告人から右覚せい剤を麻薬取締官に任意提出させてこれを領置する措置をとらせたこと、かくして、右釈放後任意捜査の形式で、右譲渡の事実につき検察官が被告人を取調べ、また右所持の事実については麻薬取締官及び検察官が川崎タマ及び被告人を取調べ、かつ、検察官において改めて右一二袋の覚せい剤の鑑定嘱託をするなどしたうえ、被告人を右両罪により在宅のまま起訴したこと、そして原審第一回公判期日において、被告人及び弁護人は、所論の違法収集証拠として主張する前示の検察官請求番号11号乃至27号、30号乃至34号の各証拠について、これを証拠とすることに同意し、異議なく適法な証拠調がなされたことが認められる。
二海上保安官の捜査権限
ところで、海上保安官の犯罪捜査権については、海上保安庁法二条一項、海上保安庁組織規程一一条三号、海上保安庁犯罪捜査規範二条八号に規定されているが、これによると、その犯罪捜査権は原則として海上における犯罪に限られ、陸上において行われた犯罪については、それが海上において始まり、又は海上に及んだ場合に限られるものとされているので、陸上で行われた犯罪であることが明らかな被告人の本件覚せい剤譲渡、所持の各犯行について海上保安官に捜査権限が及ぶか否かが問題とされる。そして、所論は本件各犯罪は右のいずれの場合にも当らないとしてこれを否定するのに対し、検察官は右のうちの譲渡事件は陸上で行われた犯罪が海上に及んだ場合に当るとしてこれを肯定し、右の所持事件も右柴の覚せい剤所持事件と関連しているので捜査権限があると主張する。
前示の如く本件捜査は、柴重行の船舶内における覚せい剤所持の被疑事実についての捜査が端緒となり、その入手先の捜査から右柴に対する譲渡人としての被告人が判明し、右譲渡の事実のほかに本件覚せい剤所持の事実にも捜査が及んだものであり、この柴重行の海上犯罪である覚せい剤所持の事実と陸上犯罪である被告人からの同覚せい剤譲受事実とが右の「始まりもしくは及んだ」関係に立つことは明らかというべきであるが、これに対向する被告人の柴に対する譲渡事実が答弁補充書記載のようにこれと同列に解しうるか否かは疑問なしとしない。答弁補充書の、海上犯罪に「及んだ」譲受事実と広義の共犯(対向犯)関係に立つ譲渡事実についても捜査権があるとする見解、あるいは、右柴の所持する覚せい剤は、柴の被告人からの譲受け犯罪の結果(「及んだ」もの)であると同時に被告人から柴に対する譲渡犯罪の結果でもあり、従つて右覚せい剤の存在は、陸上犯罪である同譲渡行為の結果が海上に「及んで」いるものとの見解も存するものとは考えられるが、前示海上保安庁法等が海上保安官の犯罪捜査権限をできるかぎり海上犯罪に限ろうとしている法意、並びに右の対向犯的関係にまで捜査権限を拡大すれば、更にこれと共犯関係にあるもの等にもその権限が及ぶのではないかというようなことにもなり、必要以上にその権限が拡大されることになりかねないこと、更には、右譲渡事実を海上保安官において直接犯罪事実として捜査することが許されないとしても、譲渡人である被告人を右柴の覚せい剤所持事件、ひいてはその入手のための譲受事実の捜査のための参考人として取調べることは許容され、本来の海上犯罪である右所持事件の捜査上は格別支障ももたらされるものでないことなどを考慮すると、もともと陸上における犯罪である右譲渡の事実を直接の被疑事実として海上保安官にその譲渡人である被告人を逮補、勾留して強制捜査することまで許容する必要はなく、海上保安官にはその捜査の権限はないものと解するのを相当とする。なお、被告人の覚せい剤所持の事実は、海上犯罪である柴重行の覚せい剤所持の事実とは関連性がなく、海上保安官に捜査権限のないことはいうまでもない。
従つて、被告人の本件覚せい剤の譲渡(原判示第一の事実)及び所持(原判示第二の事実)の各被疑事実について、海上保安官によつて行われた捜査ないし証拠の収集は捜査権限なくして行われた違法なものであるといわざるをえないので、次にこれら違法収集証拠の証拠能力について検討する。
三本件収集証拠の証拠能力
(一) 所論は、まず本件覚せい剤ポリ袋入り一二袋(前示請求番号13号乃至24号)、右覚せい剤についての被告人作成の任意提出書(同11号)、麻薬取締官作成の領置調書(同12号)、検察官作成の鑑定嘱託書(同25号)兵庫県警察技術吏員作成の鑑定書(同26号)、麻薬取締官作成の捜査報告書(同27号)について、前示の如く違法に収集された証拠能力を欠くものであると主張しているところ、前示の捜査の経緯として説示した如く、右覚せい剤ポリ袋入り一二袋は、当初捜査権限のない海上保安官が、本件覚せい剤所持の事実に関する証拠として、被告人の内妻川崎タマから任意提出を受けて領置したものであるが、その後右所持事実の捜査を海上保安官から引き継いだ麻薬取締官において、右は海上保安官が捜査権限がないのに収集した証拠ではないかとの疑念から、一旦被告人に還付したうえ即日その任意提出を受けて領置したものであり、その収集過程における違法性は、その後右の如き適法な押収とするための措置がとられたとしても完全に払拭されるものではなく、右の覚せい剤ポリ袋入り一二袋及びこれと一体をなすものと考えられる同覚せい剤についての前示任意提出書(前同11号)、領置調書(同12号)は、いずれも右の限度で違法収集証拠の謗りを免れないものというべきである。
また、右鑑定嘱託書(同25号)、鑑定書(同26号)は、右の違法に収集された覚せい剤ポリ袋入り一二袋についてなされたものであり、同覚せい剤についての鑑定嘱託及び鑑定はもともと海上保安庁における捜査時において既になされており、それが違法性を帯びたものではないかとの配慮から、検察官が更に同一内容の鑑定嘱託、鑑定の措置をとり直したものと思料されることなどに照らすと、これについてもやはり前示基本的欠陥を払拭できず、その証拠としての違法性の存在を否定できない。なお、さきの麻薬取締官作成の捜査報告書(同27号)についても、海上保安官の違法な捜査を引き継いだ麻薬取締官が右捜査において収集された資料にもとづいて作成されたものとし、同様欠陥を帯び違法収集証拠に該当すると思料される。
(二) 次に、所論は、被告人の麻薬取締官に対する昭和五九年一月二五日付(前示請求番号30号)同年一月三一日付(同31号)及び検察官に対する同年二月一八日付(二通)(同32号、同34号)、同年三月二二日付(同33号)各供述調書も、いずれも違法収集証拠として証拠能力を否定すべきものであると主張しているところ、右の検30号の麻薬取締官に対する供述調書は、海上保安官の権限のない捜査を前提とした被告人に対する違法な逮補及びこれにもとづく勾留中に作成されたものであり、同一内容の供述調書が既に海上保安官によつて作成されていたこと、その余の検31号の麻薬取締官に対する供述調書、検32号乃至34号の検察官に対する各供述調書は、いずれも前説示の如く被告人を逮補、勾留して取調べていた海上保安官の捜査権限に疑いが生じ、その取調べを前提とした麻薬取締官の取調べにも違法の疑いがもたれたので一旦被告人の身柄を釈放し、任意捜査に移つた段階で作成されたものではあるが、右の逮補、勾留中に、本件覚せい剤の譲渡及び所持について海上保安官、麻薬取締官あるいは検察官によつて作成されたほぼ同内容の被告人の供述調書が存在しており、右の検31号乃至34号の各供述調書は実質的にみて右違法の疑いのある供述調書と同一のものであつて、右の違法な逮補、勾留中にえられた供述の影響を受け継いでいるものであり、その影響を遮断してあらたに捜査するという立場から作成され直されたものとは認められず、同様証拠収集の違法性を帯びているものであることを否定できない。
(三) 右のとおり所論主張の検11号乃至27号、30号乃至34号の各証拠が、その収集過程における違法性を帯びているものであることは否定できないものの、その違法の程度は、前示譲渡事実については適式に裁判官による逮補状及び勾留状の発付を得てその身柄の拘束を行つたもので、何ら令状主義を没却するような意図、行為によるものではないばかりか、所持事実の関係においても前示のように一応その違法を断つ努力を払つているものであつて、その違法の程度は低く、しかも、前示の如く原審記録によれば、原審第一回公判期日において、被告人及び弁護人は右各証拠が右のような経過を経て取得されたものであることを知りながらこれを証拠とすることに同意し、異議なく証拠調がなされているものであることに徴すると、右各証拠は適法に証拠能力を取得したものと解すべく、その証拠能力を肯認した原判決に所論のような訴訟手続の法令違反があるとは認められない。
所論は右各証拠の収集についての違法性が重大で、令状主義及び適正手続の精神を没却する程のものであるとして、たとえ被告人及び弁護人においてそれらのものを証拠とすることに同意したとしても証拠能力が肯認されるものではないというのであるが、前説示のような本件捜査の経緯及び証拠収集の実状に照らすと、その違法性の程度、性質は前説示のように被告人、弁護人の右同意の効力を認めさせない程重大なものではないと認められる。
なお、所論は、右同意は、本件証拠の収集に関する解明が不十分な状態のもとになされたものであるから、そのような同意の効力は肯認できないというのであるが、原審記録によれば、本件捜査が海上保安官の前示柴重行に対する覚せい剤事犯容疑の捜査を端緒とし、さらに被告人に対する本件覚せい剤譲渡、所持の被疑事実に及び、海上保安官の捜査権限に関する疑念から、それが麻薬取締官に引き継がれ、捜査を担当した検察官においても右捜査権限に疑問を抱き、その処理の是正をはかりつつ証拠の収集がなされた過程などの大綱を明示されたうえで検察官から原審にその証拠の請求がなされ、同意もされていることが了知されるので、所論の点の不知の故に右同意の効力が妨げられるものではない。
してみると、原判決に所論の如き訴訟手続の法令違反も、ひいて事実誤認の違法があるものでもない。論旨は理由がない。
控訴趣旨中、量刑不当の論旨
(控訴趣意第三)について
論旨は量刑不当を主張し、被告人を懲役二年六月及び罰金三万円に処した原判決の量刑は重きに過ぎた不当なものである、というのである。
よつて、記録を調査し、当審における事実取調の結果もあわせて検討するに、本件覚せい剤営利目的譲渡、所持の各犯行の罪質、その数量などの態様、被告人には古いものではあるが麻薬取締法違反罪により三回、覚せい剤取締法違反罪により二回各懲役刑に処せられたほか、恐喝罪により懲役刑に二回、賭博開張図利幇助罪で懲役刑に一回、賭博罪で罰金刑に一回処せられた前歴があること、被告人の覚せい剤との親和性は相当に強いことなど諸般の事情を勘案すると、被告人が老令であること、被告人の内妻が病弱であることなど所論主張の事由を参酌しても、原判決の前示科刑が重きに失した不当なものであるとは認められない。論旨は理由がない。
よつて刑事訴訟法三九六条、一八一条一項但書により主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官石田登良夫 裁判官梨岡輝彦 裁判官白川清吉)